6月10日 (2016-6-10)

 一週間ほどパラオに行って来た。
 たいていは、コロール島の浜辺でのんびりしたり、グラスボートで珊瑚礁を見に行ったりしたのだが、一日、ペリリュー島のツアーに参加した。
 日本人のガイドは、元自衛隊にいたというだけあって、戦車や隊のメンバーに詳しく、とてもためになる説明だった。
 1944年9月にアメリカ軍が上陸し、3日で日本軍をやっつけると言っていたのに、2ヶ月半もかかった。その間に、日本兵中川洲男大佐以下1万2千人、アメリカ兵8千人が死亡したという。
 硫黄島と同じ地下壕を堀りめぐらし、その中で生活しながら戦ったのだが、食糧も弾薬も一切の補充が望めない中、よく2ヶ月半持ちこたえた。本土からは、できるだけ持久戦を強いられ、玉砕することも許されなかったという。生き残ったのは、わずか34人、密林の中で生活していたのを終戦数年後に発見されたという。
 地図でみるとパラオは日本の明石をずっと南下して赤道付近、日本の兵隊たちは何でこんな所で戦わなければならないのかと、考えても考えても理解できなかったのではなかろうか。
 日本の自衛隊が、日本を守るための軍備は必要だとしても、集団的自衛権の名の元に日本を遠く離れ、南半球や湾岸などで戦わなければならないとしたら、やはり「何でこんな所で」という疑問が起こるに違いない。

この記事を書いた弁護士

弁護士 藤田 紀子
弁護士 藤田 紀子
藤田・曽我法律事務所代表弁護士

仙台で弁護士を始めて50年以上。

この地域に根を張って、この地域の人々の相談に応じ、問題の解決に図るべく努力をしてまいります。

注:弁護士 藤田紀子は令和5年3月12日に満77歳で急逝いたしました。