11月20日 (2018-11-20)

 私は、信心深くないし、特定の宗教も持っていないので、自分が死んだ後、遺骨は海にまくでも骨壺に入れて放っておくでもどうでもよい。しかし、私の夫は、広島の人間で浄土真宗、結構信心を持っている。先日の台風で広島の実家の先祖の墓地が浸蝕されそうになったので、自分の墓地に墓を移すことを考えている。そのために、本家と話し合いをつけて、お坊さんにお経をあげてもらって祖父母・親のお骨を分骨してもらうため、何度も広島に行ったり、墓移設のため、業者と話し合ったりしている。私は、その熱意に感心するばかりである。
 夫は、私より長生きするつもりでいるので、私が死んだら自宅の一角を墓地に地目変更して、そこに私の骨を埋めようと考えていたが、宅地を簡単には墓地に変更できないと分かり、広島に墓地を準備した。最近では、遺骨を石に加工する業者を探して来て、「(私の)遺骨は、石のキーホルダーかタイピンにして、肌身離さず持っているからね」と言っている(ノロケてしまってごめんなさい)。
 事件でも、度々お骨の話が出てくる。死亡した人が予め遺言で祭祀の承継者を指定しておけば、指定された人が葬儀を執り行い、先祖の墓に埋骨して、以後の仏事も執り行えばよいのだが、予めの指定がない場合、よく争いになる。
 A子の母は、晩年クリスチャンになって洗礼を受けた。それ故、A子は、母親のお別れ会は教会で執り行い、樹木葬にしたいと考えている。しかし、A子の兄は、父と共に先祖代々の墓に入れたいと言って、未だにもめている。
 B子は、姉が亡くなった後、姉が夫と不仲だったことを考え、姉の遺骨をその夫の先祖の墓に入れるのは本望ではないだろうと思い、姉の骨を自分に引き渡してほしいと姉の夫に頼んだ。しかし、姉の夫からは、「分骨ならしても良い」と言われ、分骨は魂を引き裂くようで嫌だから全部渡してほしいと、B子は頑張っている。
 配偶者も子どももいない人から、自分の死後の墓守の相談を受けることもある。
 やはり、魂とか死後の世界というのを大切に考える人も、まだまだたくさんいるのだなぁと思うのである。

この記事を書いた弁護士

弁護士 藤田 紀子
弁護士 藤田 紀子
藤田・曽我法律事務所代表弁護士

仙台で弁護士を始めて50年以上。

この地域に根を張って、この地域の人々の相談に応じ、問題の解決に図るべく努力をしてまいります。

注:弁護士 藤田紀子は令和5年3月12日に満77歳で急逝いたしました。