1月20日 (2011-1-20)
家庭裁判所で離婚調停がまとまった瞬間、B子は人目もはばからず、ワーワー泣き出してしまい、裁判官も調停委員も「しばらく落ち着くまで、ここに居てもいいです」と言って席をはずしたが、B子はそれから一〇分以上もテーブルに突っ伏して代理人の私も、手のつけようも声のかけようもなかった。
B子は、育児ノイローゼからメールにはまり、メールでやさしく慰めてくれた男性と会って一晩を共にした。夫にそれが見つかり、「しばらく実家に帰って頭を冷やせ」と言われて、子どもを置いて実家に出た。その後、子どもに会いたくても夫は会わせてくれず、思い余って私の事務所を訪れたのであった。
私は、早速、子どもの監護権者としてはB子がなるべきである、だから子どもをB子に引き渡してほしい、という請求を家庭裁判所に申し立てた。そして、裁判官にいろいろ事情を聞かれ、調査官が子どもの意向や双方の環境を調査する、という手続きが始まった。その間、子どもにも二回程会わせてもらった。
しかし、夫からは離婚の調停申立がされ、子どもの親権者を双方が主張して譲らなかった。
こんな時、調査官の報告書が重要であるが、それによると、子どもは現在父親と祖父母と一緒に不自由なく落ち着いた生活をしているので、今の環境をかえない方がいいという内容であった。
今日は、その報告書をふまえ、裁判官から子どもの親権者は父親ということにして、そのかわりできるだけたくさん子どもに面会できるように、また、B子は不貞したが慰藉料の支払いは免除してもらう、という内容での解決を勧められ、B子もそれに従ったのであった。
B子は、たった一回の不貞で、自分の人生が狂ってしまったのを後悔してもし切らないという思いで、大泣きしたのであろうか。
この記事を書いた弁護士
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藤田・曽我法律事務所代表弁護士
仙台で弁護士を始めて50年以上。
この地域に根を張って、この地域の人々の相談に応じ、問題の解決に図るべく努力をしてまいります。
注:弁護士 藤田紀子は令和5年3月12日に満77歳で急逝いたしました。
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