5月10日 (2018-5-10)

 憲法九条を改正するか否か、改正するとしたらその内容はどうするか。この問題は、政治家や憲法学者だけでなく、私たち国民一人一人も考えなければならない。
 というのは、憲法96条1項に「この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」と規定されているからである。国会が、憲法改正の発議をし国民に提案したら、国民はそれを承認するかどうかを決定をすることになる。国民は何をもとに意思決定すればよいのか、それは時の政治家や官僚の意見ではなく、日本国憲法の趣旨、すなわち前文に思いを致すべきであると思う。
 前文は、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」とある。何と崇高な格調高い文章であろうか。
 そんな理想ばかりいっていて、国が滅びたら何もならないではないかという意見をよく聞く。しかし、そもそもどんな国家をイメージしているのか。意見の違いを力で解決し、他を排除して自国の利益だけを優先する国、徴兵制、つまり国民を強制的に兵役につかせることにし、場合によっては特攻隊員として死地に臨まなければならないというような戦前のような国、それでも良いのか。というのが私の反論である。

この記事を書いた弁護士

弁護士 藤田 紀子
弁護士 藤田 紀子
仙台で弁護士を始めて50年以上。

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