4月20日 (2013-4-20)

以前アメリカの女性弁護士が、一週間我が家に滞在したことがあった。
その頃は、彼女も片言で日本語が話せたし、私も、英語で何とか会話ができ、仙台の裁判所や弁護士会館に連れて歩いて説明した。
15年を経て、また、彼女が夫と共に来日し、懐かしい仙台も訪れたいと連絡があり、ご夫婦と会食することにした。
彼女は、すっかり日本語を忘れていた。私も、この頃、さっぱり英語を話す機会がなく、なかなか単語が思い出せない。それでも、彼女とは、子どもらの話、その後の仙台の変わり方の話などができたが、彼女の夫は、工科大学の教授で、日本語で聞いても理解できないようなIT技術の話ばかりしている。
3・11の震災の話になり、やっと共通の会話ができた。
いま、東京の電車の中で、「まだ英語だけ?」という吊り広告をよく目にする。中国語、スペイン語、フランス語などの会話教室の宣伝だ。
とんでもない、せめて英語だけでも、苦労しないで話せるようになりたいのだが……
この記事を書いた弁護士

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藤田・曽我法律事務所代表弁護士
仙台で弁護士を始めて50年以上。
この地域に根を張って、この地域の人々の相談に応じ、問題の解決に図るべく努力をしてまいります。
注:弁護士 藤田紀子は令和5年3月12日に満77歳で急逝いたしました。
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